古来よりかつお節製造の伝統が受け継がれる枕崎。
薩摩半島の南端に位置し、日本有数のかつおの水揚げを誇る町です。
枕崎はかつお節製造について三百年あまりの歴史があり、かつお節生産量日本一を誇る、まさに「鰹の町」という名にふさわしい港町です。
鹿児島県枕崎市
日本料理に欠かせない伝統食品かつお節。製法が枕崎に伝えられたのは寛永年間にもさかのぼると言われ、古事記においても「堅魚」として文献に登場するほど歴史の永い食品です。
現在の製法は江戸時代中期の1707(宝永4)年頃に紀州の森弥兵衛が伝えたとされています。枕崎における鰹に関する初見も同じく江戸時代中期。枕崎の領主だった喜入久亮の連歌に鰹に関連する歌が詠まれていたことから、この頃より鰹漁やかつお節の製造がおこなわれていたことがわかります。
参照)日本山海名山図解より
江戸時代から明治期にかけての枕崎。
当時は船も小型で近場でしか漁業ができず、漁民たちは苦しい生活を余儀なくされていました。また、悪天候による海難事故で多くの漁船が遭難し、亡くなった乗組員の家族は悲しみの中にいました。
そんな中、坊津出身で枕崎において医院を開業していた原耕(はら こう)は、地元漁民の苦境を見かねて自分の私財を投じて造船所を建設し、発動機のついた大型漁船を建造しました。
船の動力化に伴い、昭和初期頃には遠洋まで漁業に出ることができるようになったのです。まだ見ぬ南方漁業開拓においても先頭に立ち、枕崎のかつお漁発展に尽くしました。
原耕は枕崎かつお漁業の礎を築きあげた人物として、現在もなお功績が称えられ、枕崎市には石碑が建てられています。
原耕の胸像(松之尾公園)
原耕像(原公園)